宣言記憶(陳述記憶)と非宣言記憶(非陳述記憶)
記憶には、言葉で説明できる記憶と説明できない記憶があります。
「家族とレストランに行ってハンバーグを食べた。とてもおいしかった。」記憶とか、「トマトはジューシーで甘酸っぱい赤い野菜である」といった記憶は説明可能な記憶です。ちょうど「」で囲んだように説明すればいいのです。
こういった記憶を宣言記憶(陳述記憶)といいます。
宣言記憶にはエピソード記憶と意味記憶に分かれます。エピソード記憶と意味記憶ついては下記のリンク先に書いてあります。
→エピソード記憶と意味記憶
一方の非宣言記憶(非陳述記憶)とは、言葉で説明できない記憶です。非宣言記憶(非陳述記憶)には手続き記憶やプライミング記憶などがあります。
手続き記憶とは
自転車に乗れるという記憶、野球の投球、バイオリンの弾き方、パソコンのタイピング等は、反復して練習することで体に身につく記憶です。こういった記憶を手続き記憶といいます。
30年ぶりに自転車にまたがってみたら、意外とあっさり乗れてしまった、といったような久しぶりなのになんの苦も無くできた経験はないでしょうか。乗り方なんて覚えていないと思ったのに、体が覚えていたという状態で、手続き記憶は特に意識することなく記憶できるのも特徴です。
最初は意識して自転車に乗っていたはずが、いつからか意識もせずに乗れるようになった。自転車に乗りながら行くべきスーパーや何を買うかを考えたり、行き交う自動車に注意を向けたり、自転車に乗るという行為に意識を向けなくてもできるようになっています。これについてどうしてこんなふうに乗れるのか説明することはできません。
プライミング記憶とは
このほか、プライミング記憶というちょっと変わった記憶もあります。
下記を読んでください。
じゃがいも、かぼちゃ、しゅんぎく、きゅうり、れたす、ほうんれそう、きゃべつ、れんこん。
いかがでしょう?
何も感じなかったのではないでしょうか。実は「ほうれんそう」ではなく「ほうんれそう」であったことに気が付いた方は相当な注意力の持ち主かもしれません。
これがプライミング記憶です。
ぴんと来ないかもしれませんね。
「じゃがいも、かぼちゃ、しゅんぎく・・・」ははーん、野菜が続くんだな?という先入観を持ってしまいます。この先入観の正体がプライミング記憶、ということになります。
「じゃがいも、かぼちゃ、しゅんぎく・・・」で野菜の名前が並んでいると判断するのは重要なことでもありますし、便利な機能でもありますが、先入観に邪魔をされて間違いに気が付けないことにもつながってしまうのです。
自分で書いた文章のタイプミスってなかなか気が付けませんよね。これも先を予測してしまうプライミング記憶が邪魔をしている例と言えます。
ピザって10回言って!→ピザピザピザ・・・・・じゃあここは?(ヒジを指さす)→ヒザ!・・・あれ?
これもプライミング記憶を作り出し、間違いを誘発するゲームと説明ができます。